はじめに
日常の臨床現場では、来院者も歯科医師・歯科衛生士も何らかの対話を通して物事を理解している。また、どんなに信頼性の高い生物統計学的真実であったとしても、まずそれを言葉にしなければ他者には理解してもらえない。このように、臨床にとって「物語る」ことは重要なものであるが、医療者と患者との間でとりかわされる物語や対話の形式が注目されるようになってから、まだ40年あまりしか経っていない1)。
ナラティブ・ベイスト・メディスンとは
1990年代初頭から、科学的根拠に基づく医療 (EBM: Evidence Based Medicine) がひとつの潮流として重要視されるようになった。EBMは、医療の質の向上と医療資源の削減に大きく貢献する手法であるが、科学的根拠に基づいた医療の提供がある来院者にとっては最善の索ではない場合もある。これは、診断を下す際にEBMの「根拠」、「統計的手法」、「科学性」を強調しすぎたあまり、個々人に合った柔軟な対応に限界があったといえる。
そこでその反省から、1990年代後半よりEBMと互いに補完し合う手法として、「ナラティブ・ベイスト・メディスン (NBM: Narrative Based Medicine)」の重要性が喚起された。「ナラティブ」とは、「『語り』を通じた意味構成」そのものを指し、その「語り」は「対話」を通じて生じる。この場合の「対話」とは、人と人の間で行なわれる「外的対話」だけでなく、その人の中で生じる「内的対話」も含まれる2)。人間にはそれぞれ固有の物語があり、臨床では来院者の病気に関する物語によく耳を傾け対話をはかることで、その患者に合った診断を下すのに役立つ。また、歯科衛生士による歯科保健指導においても、有用な情報が得られるばかりでなく、患者の「語る」行為そのものがその人自身の癒しにつながる。さらに、医療者と患者との間にとりかわされる物語をよく聴き、対話をはかることの繰り返しにより、医療者自身も「道徳的想像力 (moral imagination)」が培われ、より質の高い医療を提供できるようになる1)。
NBMの留意点
NBMを行なう際、以下の点に配慮する必要があると考えられる。
(1) 臨床の現場では、社会的役割として医療者側の方が患者より優位な立場にあるため、聴いた内容を医療者側にとって都合のいいように解釈し、その解釈の方が患者のものより優先されがちである。
(2) 患者とのコミュニケーションが非常にうまくとれたものの、感情移入しすぎてついつい患者に妥協的になり、本来の歯科衛生士としての役割を十分にはたせなくなる場合がある。
(3) NBMの本当の狙いは個人にある。そのため、ある個人に当てはまったからといって、他の全ての人にも当てはまるとは限らない。
(4) 患者が自然に語る場合は問題ないが、医療者との関係の中で今であれば話したいと思う時期がある。患者にまだ話す準備ができていないのにもかかわらず、医療者側がNBMに過度に重きを置きすぎると、患者に無理に語らせようとしてしまう場合がある。
NBMと歯科臨床場面での会話分析
患者と医療者との間でやりとりされたナラティブを記録し、対話の形式を分析することで、医療者としての自分の対応を自己評価し、今後の臨床に活かすためのひとつの方法として、会話分析がある。
会話分析とは、「(口頭であれ記述であれ) 知識と信念、事実と誤解、真実と解釈といった認知に関する問題が、どのように思いつかれ、表現されるかを理解するために、対話を調査すること」である1)。これにより、とりかわされた対話を最後の一呼吸まで、最大限に詳細に聞き取ることが学べる。会話分析を実行する際、実際に語られたテクストを会話分析の表記記号3) (*1)に基づき、忠実に再現する必要がある。話しの遮り、中断(途切れ、間、ポーズ)、会話の重なり、言葉の抑揚などにはすべて意味があり、表記記号はこれらを表している。以下に、実際の診療場面で交わされた歯科衛生士と患者の対話の一部を、会話分析の表記記号を用いて示す。
患者は42歳女性(Uさん)で、左下の智歯の疼痛を主訴に今年の10月に半年ぶりに受診した。その患者が4度目の来院で智歯の炎症も治まり、落ち着いている状態の時の歯科衛生士によるT.B.I.の場面の一部である。
01 DH Uさん(0.5) 今日はいつも通り磨いていらしたんですか:?
02 U (2.5) ・hえーえ:↓(1.0) いつも通りですよ:((鼻をすする))
汚れてますか:?=
03 DH = いいえ (・) 全体的にはだいたいよく磨けてますよ:
それじゃ: 磨き残しがないかどうか歯みがきのチェックしてみ
ますね:
04 U (2) あ:はい
・
・
10 DH Uさん 鏡を持っていただけますか:
11 U はい (1.0) あら!きたな::い
12 DH 歯と歯の[あいだに:(0.5) 赤く残っちゃってます[よね
13 U [はいはい [あ:ショック
これは、普段の歯科保健指導の場で患者とよく交わされる対話であるが、会話分析の表記記号で書き表わしてみると、この短いひとこまの中でもいろいろな情報が読み取れる。例えば、歯科衛生士が患者にいつも通り磨いてきたかどうかの質問に対して、患者は数秒の間を置き、呼気と共にいつも通りであることを伝えている(01-02)。 この数秒の間と呼気と共に答えている点から、自分としてはよく磨いてきたつもりなのになんでそんなこと聞くんだろう、という患者の気持ちが窺える。その気持ちを、鼻をすすることで強調し、自分の普段の頑張りを歯科衛生士に評価してほしいという「会話マーカー(discourse marker) としても機能している。
さらに、染め出し後隣接面に磨き残しがあるのをみて、ショックを受けていることを強調することで(11-13)、患者が普段注意してやっていることを歯科衛生士にアピールしている。このように、ひと場面の対話だけでも、この患者は歯科衛生士に自分を褒めてほしい気持ちが強くあり、磨き残し云々よりも齲蝕や歯周病を予防していくためには他に何をこれから注意していけばいいのか、とういう点に患者の要望があるのではないかと予測できる。
まとめ
日常の臨床場面では、患者と歯科医師・歯科衛生士との間での対話が際限なく交わされている。人間はそれぞれの物語があり、その物語に注目し耳を傾けることよって、その人に合ったより質の高い医療を提供していく上で、NBMは歯科医療においても重要な役割を担うのではないかと思われる。また、会話分析などを通して、自分の行ないを見つめ直し、常に自分にみがきをかける姿勢を保ち続けたい。
文献
1) Greenhallgh, T. and Hurwitz, B Editor: Narrative Based Medicine Dialigue and discourse in clinical practice, BMJ Books, 1st ed., 1998 (トリシャ・グリーンハル、ブライアン・ハ−ウィッツ編、斎藤清二、山本和利、岸本寛史監訳:ナラティブ・ベイスト・メディスン 医療における物語と対話、金剛出版、第1版、東京、2001
2) 高橋規予、吉川悟;ナラティブ・セラピー入門、金剛出版、第1版、東京、2001
3) ジョージ・サーサス著、北澤裕、小松栄一訳:Conversation analysis;会話分析の手法、マルジュ社、第1版、東京、1998
4) 高江洲義矩編:保健医療におけるコミュニケーション・行動科学. 医歯
薬出版、東京、2002.
5) 石川達也、高江洲義矩、中村譲治、深井穫博編集:かかりつけ歯科医のための新しいコミュニケーション技法. 医歯薬出版、東京、2000.
6) 埼玉県歯科医師会:口腔保健推進ハンドブック −科学的根拠に基づいた口腔ヘルス・ケア−. 埼玉、2001.
7) 深井穫博:患者さんとのコミュニケーション・その前に −歯科衛生士のための口腔保健行動学−.歯科衛生士、24(1)、p.60-62
8) 飯島克巳:外来でのコミュニケーション技法. 日本醫事新報社、東京、1997.
9) ヴァージニア・ヘンダーソン著 湯槇ます・小玉香津子訳:看護の基本となるもの. 日本看護協会出版、東京、1997.