なぜ、人々は歯科を受診するのか

口腔保健行動の背景

患者満足度研究の意義

行動科学における口腔保健の展開

行動の変容と維持

口腔保健関連QOL・患者満足度

歯科受診・受療行動

行動科学・コミュニケーションへの招待

高齢者はあきらめているのか?




深井穫博(深井保健科学研究所)

 ある日突然
「あした診療室に,患者が誰も来なかったら?」という不安に陥ることがある。考えてみると,歯科医療は患者が来院してはじめて成り立つものである。訪問診療という形態もあるが,これもあくまで患者やその家族の要請に基づく。来院者にとって歯科を受診する行動は,治療の結果(output)が良いことの反映であろうが,必ずしも全ての者がその結果に満足しているわけではない。我慢やあきらめの感情を伴いながら,通院を続ける場合もあるだろう。患者(patient)は何かに耐えながら「心を串刺しにされた状態」と表現する人もいる。本来,医療を受けることは,人々にはできるだけ避けたい苦痛である。「患者が来ない」ことに対する歯科医療機関側の不安と「受診」を敬遠する人々との感情は,相反するものであるのか。
 患者が来院することを,英語表現では「dental visit」, 「dental utilization」, 「dental attendance」などの用語が用いられている。いずれも来院者の視点からみた表現である。それに対して,日本語では,行政の統計調査などで「受療率」として用いられることが多い。歯科治療を受けることを「受療」とし,歯科診療所,職場,学校,地域などで歯科健診を受けることを「受診」と区別する場合がある。また,両者の違いが明確ではないので「歯科受診・受療」と併記して用いることもある。これらの用語のあいまいさは,実は患者の来院に対する歯科医師の意識を反映したものとも考えられる。そして研究領域をみても,患者が診療室を訪れる行動の関連要因については,必ずしも明らかにされているわけではない。

歯科受診・受療行動の実態
 来院者の実態のひとつとして,保健福祉動向調査(1999年,厚生省)1)をみると, 1年間で歯科を受診したことがある者の割合は,「受けたことがある」者が35.1%, 調査時に「治療中」の者が6.0%を示し,総数で41.1%である。この割合は,都市部,郡部などの地域による明らかな違いはみられない。また,過去1年以内の治療経験者の中で,受診理由として「むし歯の治療」が59.1%と最も高く,「検診・指導(定期的なもの含む)」が6.0%,「歯周疾患の治療」が7.7%である。毎日,わが国の人口の約6%の者が歯科診療所を受診しているわけである。しかも,約40%の者は,繰り返し治療のために来院する者とも考えられる。米国の実態はというと,1年間の受診理由として「歯科健診」が45.4%,歯石除去やPMTCなど歯周病の予防に関する受診は37.2%を示している2)。 これをさらに別の観点からみると、わが国の歯科診療所数は,1980年に38,834箇所であったものが,1990年には52,216,1998年には61,651箇所である。1歯科診療所当りの患者数をみると,1980年31.7人,1990年には24.8人,1999年では17.6人とその減少傾向に歯止めがない。この患者数の減少は,この間の受療率が横ばいであったために,歯科医療機関の増加がその主因と考えられている。歯科医療費も1980年で1兆2807億円,1990年で2兆354億円,1999年では2兆5444億円となっているが,歯科医療機関数の増加率に見合うものではない3)。このことは,歯科医療機関の収支差額にも直接影響して,その減少傾向は明らかである。その結果,医療機関側からは,収入の低下が医療の質に影響するという危惧から,歯科界の解決すべき課題として歯科医師需給問題の切実さが喚起されている。しかしその解決の糸口を見出すことは容易ではない。むしろ歯科医療専門家の断定的な論理として,簡単には人々に受容されるものではない。
 一方で 医療制度改革(Health Care Reform)は,わが国ばかりでなく先進国に共通する課題である。医療制度改革は,医療費適正化政策であり,その内容としては,公的医療保険の給付制限・自己負担率の増加,米国型のマネジド・ケア(managed care)の導入,医療の質の第三者評価などが盛んに議論されている。この医療制度改革の論理は,医療費の無駄を省くことで,その質を改善することにあるのだろうが,必ずしも人々の健康の改善に直結するものとはいえない。

患者と歯科医療従事者とのギャップ
 これらの実態の本質的な問題のひとつには,人々と歯科医療専門家との歯科医療に対する認識のギャップがある。例えば, 「かかりつけ歯科医」機能として,歯科医師などの専門家は,「包括性」や「継続性」という予防処置,保健指導,さらには定期的な歯科健診など継続的な指導管理を重視するのに対して,住民はとみると,むしろ「利便性」,「対話性」など地理的なかかりやすさや診療時間帯,医療現場でのコミュニケーションを重視すると指摘されている4)。また, わが国の25〜64歳の働く成人の調査でも, 歯や歯周部位の症状を自覚した場合に,その対処として「歯科受診する」者は,男性で62.2〜78.4%,女性では64.5〜81.3%であったのに対して,職場などでの歯科健診で「治療の勧め」に必ず従う者は,男性では19.4〜24.2%,女性で26.8〜52.3%である5)。

まとめ
 わが国の歯科医療制度のなかで,マクロ的にみれば医療費適正化政策,ミクロ的にみると歯科医療サービスに対する人々と歯科医療専門家とのギャップを抱えた現在,単純に予防中心の歯科医療が人々の医療機関へのアクセスを高めるというものではない。また,80歳で20歯以上の歯を有する者の割合は,最近の調査で15.25%と推計されている。人々の現在歯数は,明らかに増加傾向にある。現在歯数が増えれば,歯科医療の需要が増加することは, ,Douglass,C.W.らが提唱した「more teeth, more demand」theoryとしてよく知られている6)。しかしこれも,楽観的推測の前提として,歯科保健医療専門家が追究する課題はないか。 ひとつのパス・ファインダーとして,歯科医療機関側が陥る悲観や楽観の前に,人々の歯科受診の実態やその要因をさらに明らかにすることが重要である。保健医療分野での行動科学の研究の端緒となったKegels,S.S.らの「Why People seek dental care」7)は古くて新しい課題であると考えられる。

文献
1)厚生労働省:平成11年保健福祉動向調査(歯科保健),  http://www1.mhlw.go.jp/toukei-i/h11hftyosa_8/index.html
2)Seldin,L.W.: The future of dentistry An overview of a new report, JADA,132,1667-1677,2001.
3)厚生省大臣官房統計情報部編:平成10年度国民医療費,厚生統計協会,東京,2000.
4)長田 斉:住民のとらえる「かかりつけ歯科医機能」と歯科医師のとらえる「かかりつけ歯科医機能」,日本歯科評論社,668,121-131,1998.
5)深井穫博:わが国の成人集団における口腔保健の認知度および歯科医療の受容度に関する統計的解析,口腔衛生会誌,48:120-142,1998.
6)Douglass,C.W.,Furino,A.: Balancing dental service requirements and supplies; epidemic and demographic evidence, JADA,121,587-592,1990.
7)Kegeles,S.S: Why people seek dental care- A review of present knowledge, Am J Public Health,51,1306-1311,1961.








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